The conviction that useless things can create rich and diverse talents and intellects.
現在の大人が、結局どこかの段階までこどもだったことはまぎれもない事実だ。
大人とこどもの境界線はどこだったのかはさておき、大人になるにつれて、本来は備わっていた感受性や創造性をまるで失ってしまう。僕自身MilKに携わるまで、そんなことは意識しないまま生きてきた気がする。そうする(そうなる)ことが大人になることなんだろう、とさえ思っていたからだ。でも今思えば、それはぜんぜん間違いだったということに気付く。大人になって、社会意識が芽生えたあとでも、伸びやかに自己表現することは悪くないし、社会性と創造性はひとりの人間のなかで必ずしも反比例しない。むしろこの停滞感すら感じる世の中に、いまでも影響を与え、一石を投じるのは、創造性を兼ね備えた類まれな大人である。
MilKの日本版「ミルクジャポン」の編集長となって今年で5年。つねにいちばん意識してきたのは、いかに読者(実際には読者のこども達)に、そんな創造性を失わない伸びやかなこころを持ち続けてもらえるのか、ということ。そのためには、普段見るもの、触れるものがいかに刺激を与えられるのかを捉えて、MilKとして物事の善し悪しを決めること。
単に生活を便利にする何かで満たすよりは、美しくて豊かだけれど、たいていは生活を不便にするようなものが実は多いのかもしれない。壊れやすかったり、手入れに手間がかかったり、洗濯が難しかったり……。それでも愛することができる、きっと記憶に残る、そんな物事でこども達が毎日を愉しめる。こども達が想像できる範囲ではなく、まだ視えない範囲までちょっぴり背伸びをさせること。そうすることで、こども達の知的好奇心は庭に植えたミントみたいにぐんぐん伸びて繁殖してくる。それはもう大人の想像を完全に越えるように。
こども達のプリミティブな能力は未来への希望であり、こどもそのものが未来である。そのために、MilKはMilKであり続ける。たとえ不便なものを世の中に撒き散らしてしまってでも。
編集長として5年制作を統括した雑誌「MilK Japon」No.32(2016年4月発行)に寄稿した最後の原稿を再掲載しました。
I have republished the last manuscript I contributed to MilK Japon No. 32 (April 2016), the magazine I led the production of for five years as editor-in-chief.